音大を卒業して、音楽家ではなく、教師でもなく、投資とストックビジネスを選んだ訳①

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今日は、私が今どのように暮らしているか

どうしてこの生活を選んだのかをさらっと書いてみます

第一弾として、大学を卒業したときの話を。。。

音大を卒業して

私が音大を卒業して残ったものは

音楽の知識ピアノの技術

それと

教員免許だけでした

これで、

「はい、あとはがんばって生きてねーー」

と大学を追い出されたわけですw

そんな感じだったので

卒業しても勝手に音楽の仕事が舞い込んで来て

食べていけると楽観的に考えていたのですw

そして、、、

確かに普通に暮らしていましたw

海外旅行も行ったし、サラリーマンの友達よりはるかに遊んでいたし

その分寝る間も惜しんで、ピアノの練習や勉強もしました

人よりアクティブに動ける健康な身体に生んでくれた親に感謝ですねw

親の心配

サラリーマンであったうちの親は

もちろん心配していました。

芸術系に進んだので、普通とは違うとはわかっていても

やはり心配だというのです。。

そこで、私はない頭をフルに働かせて

教員免許をつかおう!

と思いついたのですw

教育委員会

教員採用試験を受ければ、教員に慣れることはわかっていましたが、試験は7月、その時4月。。

すぐにはなれない、、、試験を受けたとしても一年後ではないか、、、

という事で、とりあえず地元の教育委員会に履歴書を持っていき

「教員の仕事なら何でもやります。紹介して下さい」

と、のこのこ、多分短パンTシャツかなんかで行ったと思いますw

今思えば、バカだけど、、

でもこれがあったから私は数年後に正規の教員になることになりました

結局なにごとも勢いは大事だって教訓ですねw

そして、、、

なんと1ヶ月後に、なんと近所の学校から

是非支援員として勤務してほしいとw

何たること!!

と思いましたが勤務日数も週に2~3回で数時間ずつ。。

私にとっては、親の安心の為だけだったので

物凄いほど良い勤務日数、、そして好きな時に来ていいし好きな時に帰っていいというw

業務の内容は、少し重たいもので

不登校児童の対応でした。

のちに書きますが、この経験も私の人生を変えた一つでもあります。

当時はまだ

「登校拒否」なんて名前から「不登校」に変わったばかり位だったと思います

そんな感じで私は、教員への道へ踏み入れて行ったのです☆

つづくw

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